プロローグ
「今年の夏休みは、ニューヨークでも行って、テニスのUSオープンでも見ようかなぁ?」今年は春先からこんなことを考えていました。しかし…その後、次から次へと母に襲い掛かる災難、仕事の都合等など、こんなにも旅行の予定がすっかり変わってしまったのも初めてのことでした。少しの間は、旅の話ではありませんが、どうぞお付き合いくださいね。

春になって、NYのメル友さんに「もしかしたら今年の夏休みはUSオープンに合わせて、そちらへ行けるかも?」な〜んて暢気なメールをしていたのはGW前。まさか、その後次から次へと災難が降りかかるとは夢にも思っていなかったのです。

大殺界?
最初の災難は、ちょうどGWの真っ最中でした。母が鼻と頬と腕に火傷を負ったのです。帰宅したら火傷の箇所に大きな水ぶくれが出来ていて、ビックリしました。話を聞くと、なんでも鶏肉の塊に焦げ目を付けようとして、中華鍋にオリーブオイルをたっぷりと入れ、熱してから鶏肉を入れようとしていたそうなんですが、トングが近くにあったのにも関わらず菜ばしを使ったんです。普段なら別にどうってことないのですけど、この時に限って、肉が熱せられた油の中に滑り落ちてしまったのです。で…それをモロに浴びてしまったそうなんです。でも、幸いなことに眼鏡をしていたから眼にはかからずに済みました。ホントそれだけは不幸中の幸いだったと思います。気丈にも母は、ビニール袋の中に氷を入れて、患部を冷やし続けていたそうです。GW中なので、近所のお医者さんも休みで不在だし。それに火傷の場合は下手に薬などをつけないで、ひたすら冷やすのが一番良いそうなんです(注:程度にもよります)。
ともかく顔ですから、外出するのも目立ちますからねぇ…暫く外出はしなかった母ですが、一緒に出かけた時も知らない人が怪訝な顔して見たりしていました。無反応ってのが日本人は出来ないんですよねぇ。だから心が傷つく人間が出来ちゃうんですよね。

この火傷の痕がかなり薄くなってきて、目立たなくなってきた頃、2の災難が襲い掛かりました。顔面麻痺です。眼の上が暫く痙攣しているのが続いたある朝、「顔が曲がっているみたい」と言い出したのです。言われてみれば、そうかもしれないって状態だったのですが、翌日は更に悪化。口から水がこぼれたそうなので、近所のかかりつけの先生の家に行ってみたそうです。するとやっぱり麻痺が出ているそうなので、すぐに紹介状を書いてもらい、翌日に大学病院で精密検査。すると・・・「耳からウィルスが入ったらしい」との診断。ともかく驚きでした。

顔もよく見ると麻痺しているために曲がっていました。まばたきも麻痺しているほうの目はきちんと出来ないので、薬を塗って乾かないようにケアしなくてはならないのです。とりあえず、そのウィルスを叩く薬を飲み続けたのですが(但し強いので10日分だけ)やや改善しただけで、劇的には回復はしなかったのです。そうなると、当然のことながら外には出たがりません。やはり他人の目が気になるのです。そんな訳で食材などは私が休みの日に買いに行ってました。家の中のことは普段通りに差し支えなかったんですけどね。

それでも1ヶ月もすると、ほぼ通常通りに真っ直ぐになってきて、気がつかない人は判らない程度にはなってきたのです。

お盆になったので、両親は母方の田舎へ出かけました。私は仕事があるので、自宅で留守番。そして何事も無く両親は帰宅したのですが…。

翌日の夜に3の災難が襲ったのです。

私はクーラーの効いた自分の部屋で(当然ドアは閉まっています)PCの前に居たので、全く気が付かなかったのですが、母が勝手口の階段から転げ落ちてしまったのです。なんでもちょっと何かをしながら後ろ向きに3段ほどの階段を降りていたのですが、踏み外したのです。そのまま暫くは起き上がれなかったようなのですが、私はそれも知らず…。やっとのことで家の中に這い上がってきた母の声で気が付いたくらいなのです。それが土曜日の夜。翌日はお盆休み最後の日曜日なので、近所の接骨医なども全部お休み。地元の救急指定の病院もヤブなので連れて行っても仕方ないし、母も行きたくないとのことで…。ともかく月曜日になるのを待つしかなかったのです。

月曜になって私は会社を休んで母を接骨医に連れて行きました。私の車の方が車高が高いので、乗り降りも楽だし、結果次第では私が連れて行ったほうが良かったからです。待合室でもなんとか固い椅子に座らせたのですが、番が来ても一人では立ち上がれない母。そんな母に肩を貸して立ち上がらせ、なんとか診察室に連れて行きました。間もなくレントゲンの結果が出たのですが…。

足の甲の剥離骨折と腰の骨の圧迫骨折。おまけに椎間板も減っているとのこと(これは慢性)。最悪の結果が出ました。暫くは自宅にて安静にしていなくてはならず、帰宅後から私の代理主婦の生活が始まりました。

ホントによくもまぁ、これだけ悪いことが次から次へと起こるものだと思いましたね。これだけの要因で仮にNYへ行く手配をしていてもドタキャンをせざるを得なかったと思います。しかし、私の方も私の方で、色々と都合がつかなくなってしまったのです。

最初は誰かを誘ってフリープランで行けば安くなるかなぁと思っていたのですが、友人達はみな都合がつかず。それでは一人で行こうと決めたのですが、今度は8月末だと言うのにチケットが取れず…。なんとか買うことの出来るチケットはどれも高いものばかり。オマケにNYのホテルはこれまた異常に高くて…。たかだか6日間行く程度で30万以上かかる見込みとなりました。それに+チケット代&食費&現地交通費。う〜〜ん、行きたいのは山々だけど、ちょっと考えちゃうなぁってところでした。それでも少し待てば安いチケットが出るかもしれないと儚い望みを持っていたところに…社内レイアウト変更の日程が確定したのです。日程は世間のお盆休み以降にバッチリ当たっていました。それって、ちょうど休みたいと思っていた週じゃない。私の部署は女手は私だけなので、細々した荷造りはやっぱり私がやるしかないだろうし。更に地下の書庫も別のビルに移すので、そこの整理もしなくてはならなくなって…。

断念しました。幾ら好きな時期に夏休みを取ってもよくても、あらかじめ判っている日程に合わせて休むことなど私には出来ないし。諦めて7月末から仕事の合間にチマチマと書庫の整理をして過ごしたのです。

そんな事情で夏の旅行は諦めたのですが、それでは思いっきり延ばして11月の秋のイタリアでもって思って、お盆前に旅行会社に見積もりを取ったりしていました。その返事を見て母と一緒に行く計画を立てようとしていた矢先に、母の怪我。旅行の件は暫く保留になりました。

今年は海外旅行にはどこにも行けないで終わるのかなぁ?って思いつつ、仕事と家事とに追われる日々が続いたのです。

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