2月1日 成田 → ミラノ → ベローナ  その1

いよいよ出発
ついに出発の日となった。この日をどんなに心待ちにしていたことだろう?去年から比べると、少しは英語も上達したかしら?噛っただけのダンスは通用するかしら?と内心不安ではあった。特に今回一緒に行くMさんが「英語は全くダメ」との事だったけれど、どのくらいダメなのかは見当がつかない。なんせ日本人はある程度出来ても「"全く"ダメなんです」って謙遜されちゃうことが多いし…。何を基準にして『全く』なのだろう?と疑問に感じることも多々ある。
2004年パーティの写真それはさておき、またあの夢の世界へ行けるのかと思うとワクワクしてくる。去年味わったあの悔しさをリベンジできるのだろうか?でも、それよりも、楽しんでくることが優先なのだけれど。今回の旅は、友人や、ネットを通じて知り合った人達からも「帰国後の話を楽しみにしています」と言われ、注目されていた旅でもあった。カーニバルや舞踏会は2回目だから、去年とはまた違っていくらか余裕も出来れば良いのだけれど。また、私のHP宛てに連絡をくれた女性Aさんともサン・マルコ広場で落ち会う予定になっていた。果たして彼女と無事に会うことが出来るのだろうか?去年出会った人達と再会は出来るのだろうか?新しい出会いは?
ミラノのドゥオモや、『最後の晩餐』はどうなのだろう?期待と不安が交差していた。


母が成田まで
スーツケースを引く女性のイラスト今回、母が一緒に成田まで同行してくれたが、実情のところ、同行してもらわざるを得なかったのである。イタリアで待っているUさんのお母さんから、荷物を持って行って欲しいと宅急便で一箱送られてきたのだった。私の荷物は、キャリーケースと、機内持ち込み用のバッグ、去年使って今年も使用予定のカーニバル用の帽子が入っている紙袋だけだったのだが、帽子の袋が嵩張っていた。なんせ、羽飾りがかなり大きいので、折れてしまったら元も子もない。その3つだけで両手が塞がってしまったし。そこで、母が登場。実家から送られて来た箱1箱、先方のリクエストのもの等を折り畳み式のキャリーカートに積んで一緒に行ってもらうことになったのだ。


日本の味
ラーメンのイラストUさんの実家から送られてきたものは、味噌や漬物など日本の味だったのだ。それプラス、Uさんの中学生になる娘さんのリクエストで、インスタントラーメンが食べたいので(お金を払うから)買って持ってきて欲しいとのこと。イタリアで生まれ育った彼女がどうして?とも疑問に思ったけれど、あとで聞いてみると、夏休みなどを利用してちょくちょく日本のおばあちゃんの家に遊びに来ていたそうだ。それで、味を覚えたらしい。で、味噌味、しょうゆ味、塩味と3種類あるので、それぞれ適当に…とのことだった。我が家ではインスタントラーメンは殆ど食べないので、どのくらいの大きさになるか見当もつかず、母に近所のスーパーに買い物がてら見に行ってもらった。スーパーでは箱から出して売られているけれど、1箱の大きさが男性用の靴箱程度の大きさとのこと。それじゃぁ、どうせ箱づめしなきゃ持って行けないのだから、それぞれ1箱ずつ買っちゃいましょうということになった。私はUさんには気持ちばかりの日本の味のお土産でもと思っていたのだけれど、同じことはMさん親子も考えていたとのこと。でも、すでに実家から1箱届いているし、ラーメンもあるので、いっそのこと、先方が欲しがっているラーメンを1箱ずつお土産にしちゃいましょうと決まった。そして、分けて買うと面倒なので、私が3種類まとめて買って成田まで持って行くことになった。

第1ターミナル
今回の便はJALとアリタリアのコードシェア便。出発は午後2時過ぎ。成田にはMさん親子と午後12時の待ち合わせにした。遅い出発なので、荷物を持って電車に乗っても差し障りのない時間で良かった。チケットを見ると、機材とスタッフはアリタリアとのこと。そうなると第1ターミナルからの出発だった。第1ターミナルなんて、何年ぶりだろう?以前、ロンドンに行くときにバージンアトランティックに乗ったとき以来か、それともグアムへ行った時以来かな?ともかく殆ど記憶が無い。記憶では、工事中だったし、第2と違って小さなカウンターがアチコチにあって…って感じだった。まぁ、それから10年ほど経っているのだし、工事も終わったりしてかなりきれいになっていると思うけれど、どんな感じなのだろう?成田空港のHPで一応はチェックをしてみたけれども…。
着くと昔の面影はなし。まるで別の場所だった。まずはMさんの携帯に連絡を入れてみる。すでに到着しているとのことで、座っているカウンターの側までこちらから出向くと伝えた。

チェックイン
近くまで母と歩いていくと、立ち上がってこちらに向かってくる親子連れが…片方の人はMさんだ。Mさんのお母さんとはこれが初めての対面となる。自己紹介をして、母も紹介。挨拶を済ませ、ともかく一刻も早く、お土産の荷物を預けて身軽になりたかった(笑)カウンターを見つけて、早速チェックイン。第1ターミナルには慣れていないせいだろうけれど、ちょっと探しづらかった感じがした。一応、案内板を見たけれど、第2ターミナルほど判りやすく表示されてなかった気がした。
チケットは今回私がまとめて3人分持ってきた。チケット到着の連絡をMさんに入れたら、出来るなら当日一緒に持ってきて欲しいと頼まれたからだった。Mさんに送るまでの紛失などの事故の危険性は無くなったけれど、やっぱり他人の分を預るのは自分でも初めてのことで、ちょっぴりプレッシャー。でも、1人も3人もそんなに変わりは無いのだしと思い、引き受けた。

実家からの大きなダンボール箱、ラーメンの箱をセキュリティの機械に通す。当たり前だけど無事通過。チェックイン待ちの人も殆どいなかったので、カウンターのところまで箱と自分の荷物を運ぶのに数回往復。
座席はすでに指定してあったので3人並んでいた。もし、空いているようだったらば、非常口かスクリーンの前が空いているか聞いてみたらすでに塞がっているとのことだった。まぁ、3人並んでいるからヨシとしなきゃ。心配だったのは、箱と自分たちの荷物の重量。オーバーになるかとハラハラしていたけれど、制限内とのこと。但し、ダンボールなので、濡れや破損、紛失の可能性があり、万が一の場合は免責対象となるとのことで、クレームタグにサインをした。ともかく私としては、預けてしまえば気が楽になったし。帽子だけは手荷物で機内に持ち込むことにした。どんな風に運ばれるか判ったものじゃないし、去年の帰りのように、キャビンアテンダントにお願いして適当なところに置いてもらうつもりでいた。

ボーディングパスを受取りの際、私はいつもと違うこと全く気がつかないでいた。あとで、気がついて焦ることになるのだけれど、これはこれで教訓になったので、良かったと思う。それはどんなことかというと、いつもだと、カウンターでスタッフが搭乗開始の時間をボールペンで書いて説明してくれる。ところが、今回は搭乗終了の時間だったのだ。毎度、同じようなことを言われるので、うっかりと聞き流してしまっていたのだ。

「私も仮装します」
チェックインも無事に?終わり、待っていた母と合流。ちょうどお昼時だし、一緒に4人で済ませてから、母は帰ることに、そして我々は中へ入ることにした。きれいになった飲食店街で昼食にした。4人で話しも弾んだ。その際、Mさんのお母さんも仮装すると決心したと打ち明けられた。ドレス姿の女性のシルエットそれは大層良いことだと、母と私で喜んだ。確かに自分の娘に仮装をさせて、それを写したりするのは、母親冥利に尽きると思う。でも、それは仮装しても写すことは出来るのだし、滅多にできる事ではないし、誰の目も気にすることはないのだから是非仮装をすべき、と、かねがね説得していたのだった。私が去年見てきた人達は、Mさんのお母さんどころではない年配の人達が沢山仮装したり、フェイスペインティングしたりして、カーニバルを楽しんでいた。「同じアホなら踊らにゃ、損損!」って考えの私は何度もMさん経由で伝えてもらっていたのだった。じゃぁ、今回は仮装した人間が3人揃うことになる。きっと華やかになるだとうなと思うとワクワクしてきた。

セキュリティ・チェック
食事を済ませ、母と別れ、我々は搭乗ゲートへ向かった。いつものことだけれど、空港内はなんて暑いんだろう?そんなに厚着はしてないのに、大汗をかいてしまう。セキュリティ・チェックは以前より厳しくなっていた。うっかりコートのポケットに携帯を入れていた私は当然引っかかってしまった。ボディ・チェックと靴のチェック。ま、仕方ない。帽子も機械を通す前に、ゴム製のビラビラの下を通すので、袋から飛び出ている部分の羽が心配でたまらなかった。チェックを受けている間にも、帽子の袋の後ろには次から次へと荷物がコンベアーで流れてきてつまっている。係員の人が、つまっている荷物を押したとたんに羽が折れないようにと心の中で祈っていた。
幸いにも私の後ろの人もひっかかりチェックを受けていたので、押し流される前に自分で受け取れた。一安心。あとは機内での置き場所の問題だけだ。見るとMさん親子も小さなハサミ?か何かで引っかかっていた。破棄するとのことで、ボックスに投入していた。

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