2005  ヴェネツィア編
日本人の血を引くメキシコ女性パメラ

パーティ会場のトイレで偶然に出会った彼女。今回は前回のような失敗は犯さなかったけれども、ドレスの膨らみが(注:膨らんでいるのは私自身ではない!)凄くてかなり大変。ドアに挟まないように気をつけて出入りをした。四苦八苦しながら出るとそこに居たのが彼女。不安そうに見つめる彼女に「とっても大変よぉ」と脅してみる(笑)「やっぱり〜?!」と2人で笑ってしまった。
私 : 「ドアを閉めるのから大変」
彼女 : 大笑
ドアを一旦閉めようとしたのに、また彼女は顔を出したので「どうしたの?」と声をかけたら、「ねぇ、どこから来たの?」と質問してきた。「私、日本人よ。東京から来たの」「え〜!ホント〜!私、パメラ。メキシコ出身なの。私の曾おじいさんは日本人なのよ。」
そう聞いてビックリ。そう、確かに彼女は物凄く可愛らしい顔立ちをしている中に、少しばかり東洋的な顔立ちの部分もあるような気もする。あまり話し込むと可哀想なので、とりあえず話を中断して席に戻ったけれど、遠い昔にメキシコへ移民していった日本人の末裔とヴェネツィアのカーニバルで会うなんて思いもしなかった。彼女も私が東洋人らしいと感じたのだろうか?だから、わざわざ一旦閉めかけたドアを開けて、どこから来たのか聞いてきたのかも?
その後、ディスコタイムになって友達と一緒にいるパメラを見つけた。向こうも手を振っている。これも何かの縁かもしれない。そう思って、側に寄って少しおしゃべり。日本の血を引いているけれど、まだ一度も日本へ来たことがないそうだ。是非、日本へ一度来るべきだと勧める。折角だから記念にみんなで写真を撮ろうということになって、交互にカメラに収まった。どちらともなく、「メールアドレス教えて」って事になった。お互いにペンは持ってなかったけれど、クロークのオバサマ達ならば持っているだろうと言うことで借りに行き、アドレスを交換して帰ってきた。

帰国後教わったアドレスにメールを送信。なかなか返事が来ない。きっとまだ旅行中で自宅に戻ってないのだと思い、そのまま放っておいたら2週間ほど経って返事が届いた。ロンドンに住んでいるとのこと。留学中なのだろうな。パーティの興奮覚めやらぬ文面がそれには書いてあった。みんなみんな同じ想いを噛みしめている。早速返信をしたら相手のメールサーバーが容量を越えているとのことでエラー。仕方ないので、慌ててエアメールで送った。中には写真と 『 雛祭り 』 のカードを添えて。拙いながら簡単にその意味も書き添えてみた。"女の子のお祭りで、2月下旬に母親が娘のために3月3日まで人形を飾るお祭り。『良い縁に巡りあうように(=良い旦那さんが見つかるように)』との意味があり、4日になると出来るだけ早く人形を片付ける" のだと、簡単に(イヤ適当過ぎるか?)私としても海外に外国人のメル友さんも欲しいし。。。

1週間経ってお礼のメールが届いた。なんと!私の手紙は3月3日の雛祭りの当日に届いたのですって!「いつかいい旦那が見つけられるわ!」とのこと(笑)彼女なら可愛らしいし大丈夫でしょ。自分の中に流れている東洋の血を感じているとのこと。日本のことをもっともっと知りたいらしい。今後もメールのやり取りをしようと思っているし、卒業したら日本へ遊びにいらっしゃいと誘ってみるつもり。なんとか交流を続けたいし、来年もカーニバルで再会したいもの!

パーティでスコートしてくれたロベルト氏
カーニバルのパーティの食事が始まる前、1階でアペリティフを楽しむ時間があって、そこですーっと寄ってきたのがロベルト氏。一緒に参加したMさんは端っこから写真を撮っている。暫く彼と、彼の友人達と話をし、Mさんにも紹介。話をよく聞くとヴェネツィア人だとか。ふ〜ん、地元の人も参加しているのねと思う。食事の始まる時間になったので、名前を主催者に告げてテーブルの番号を聞きに行ったら、かのロベルト氏とは別のテーブルだった。
食事後、トイレに行ってパメラと話をしてきて戻ると、私の椅子にはロベルトがちゃっかり座っていた。Mさん曰く「私を探しに来た」とのこと?ん〜英語があまり判らない彼女だからなぁ、ホント?中央の部屋でワルツタイムが始まるまで暫くそこでおしゃべり。
同じテーブルの日本から来たご夫妻が、パーティ半ばで帰るというので、挨拶しに行って戻ると、すでにワルツが始まっていた。見るとMさんはダンスデビュー(笑)なんてラッキーな!
私も彼と踊る前に、ダンスデビュー。その後、彼とも踊った。私がトイレに行ったり、その帰りに隣の部屋でパーティの写真を眺めていたりと道草を喰っても、彼がいるから安心して、英語の出来ないMさんを残して席を外せた。色々と気配りをしてくれて有り難い。さすがイタリア?(笑)
ディスコタイム中、カーニバル中にのみ食べるカスタノーレを勧めてくれたり、何かと世話を焼いてくれた。そろそろ疲れの見えてきたMさんを気遣い、水上タクシーを呼びホテル名まで告げていてくれり、至れり尽くせり。慌ただしく別れの挨拶をした。
余りにも慌ただしかったのでロクにお礼も言えず、やや良心が傷んだので、ミラノのホテルから電話を入れてみた。留守電だったので、とりあえず伝言のみ。外出中にホテルに伝言が届いたけれど、今度は私が時間なし。仕方ないので、日本から電話をしてみた。
本人が出たので一安心。すでに東京だと話したらビックリしていた。来年、またぜひ来るようにと勧められた。ついでに、もっとイタリア語と英語も(特にRの発音)勉強しておいでと余計な一言も添えて。
メールアドレスを教えて欲しいとのことなので、FAXを送ったけれど、その後メール無し。電話はかかってきたけれど。
ま〜、イタリア男なんて、こんなもの?って(笑)それにしても余計な一言、来年のためにも頑張らなきゃ。


2004  フィレンツェ・ヴェネツィア編

貸衣裳屋のスタッフ達
ヴェネツィアの貸衣裳屋のスタッフ達には、カーニバルに仮装をして参加するのが夢だったこと、そして、まるで中世にタイムスリップしたかのような仮面舞踏会、夢のような1日で心から楽しめた、来年も是非行きたいと思っていると書いて送った。返事は予想通り無し。多分、世界各地からのそういった手紙も来ているだろうから返事を出したらキリ無いし、また、母国語ではないけれども、英語を話すことは出来るが、書くことは出来ないという外国人って多いから?返事が来ないのだろうと思っている。

フィレンツェのアンドレア
最初の手紙
フィレンツェのホテルのアンドレアにも、2ショットの写真と、簡単な走り書きのメモをつけて送った。どうせ、ホテルのスタッフだから毎日沢山のお客を見ているだろうから、覚えているかどうかちょっと怪しかったし、調子のいいイタリア男としか見ていなかった(^^;)
そしたら、意外にも、こちらからは丁寧な手紙が帰ってきた。でも、出だしから笑える文面。
「私を覚えていますか?あなたが私を覚えているかは確かではないが、カプチーノの私のハートは覚えてくれているのは確信します」だって。自分よりもカプチーノの事なら覚えているだろうと言ってくるなんて思わず笑っちゃった。多分、簡単な走り書きを添えただけだったので、ややすね気味?だったかもしれない。「写真を見てはあなたのことを考えています。いつかフィレンツェに来るときは必ず連絡を欲しい、是非とも再会したいものです」だなんて、やっぱり口のうまいイタリア男だわって思う。それにしても、先方が丁寧な手紙だったので、なんとなく気が引けた私は、再度カーニバルの時の写真も同封して手紙を送った。フィレンツェからヴェネツィアに行ってカーニバルに参加したこと、それは長年の夢だったことなども書き添えて。
2通目の手紙
その後、またもや返事が来た。カーニバルの写真を大層喜んでくれたらしい。でも…また自己陶酔型の手紙だった。「この写真は大切にする。それにしても、私の気持ちを判って欲しいものだ。何故だか判らないけれど、あなたを忘れることが出来ないでいるのだ。あなたのまなざしは私の心に入り込み、私の傍らにいるのだ。イタリアへまた来ることがあったら、このフィレンツェにあなたのことを思っている男がいるということを思い出して欲しい。フィレンツェのあらゆるロマンチックな場所を案内してあげたい」な〜〜んてことが書いてあった。ホントかよ!って突っ込みたくなった(笑)な〜るほど…外人さんってこんな感じで、女の人の気持ちを和らげるのね〜。世の中の男性諸君、このくらいのことは言ってみろ!(笑)でも、日本人が口にするのは似合わないだろうなぁ…実際、言われたら、引くと思う…。

仮面舞踏会のリカルド
甘い言葉で思い出したが、ヴェネツィアの仮面舞踏会でブレスレットをプレゼントしてくれたリカルド。スタッフ宛でみんなの分と一緒に写真を送ったけど、前述の通り返事なし。私は私で、ブレスレットをありがたく?身に付けている(笑)『真冬の夜の夢』の出来事として。(実際には勉強し始めた自分自身を叱咤激励するために役立っています)


シルクロード編
添乗員T氏
T氏は、その後K社を退職。一旦は旅行会社を興したりもしたが、今は、別の会社に籍を置き、色々な旅行をアレンジしている。私にとって、安心して旅行のアレンジをお願いできるかけがえのない人となっている。(その後、インドネシア、イタリア旅行をアレンジしてもらいました。もくじページのお得な情報からコンタクト取れます)

カメラのお師匠S氏
カメラに詳しかったS氏は元カメラメーカーの人だった。帰国後、メールで連絡を取ったりしているうち、一眼レフの購入で一肌脱いでもらった。お蔭で…大分安く手に入れることが出来た。更に、写真を上手く撮るコツを教わったり、撮った写真を見てもらって、構図についてアレコレと教わったりと、いわば、カメラの師匠みたいになった。S氏の友人で、同じくカメラに詳しいN氏とも手紙のやり取りをしている。

旅仲間
寝台列車で同室だったMさん、Hさんとはその後インドネシアに一緒に旅行したりしている。特に、歳が一つしか変わらないMさんとは、一緒にあちこち遊びに出かけたりと、呑気な独り身同士で遊んでいる。もう一人のMさんは、仕事の都合がつかず、一緒の旅行は、なかなか実現しないが、メールのやり取りは続いている。

曹さん
ウルムチから敦煌までガイドをしてくれた曹さん。旅仲間が揃うと必ずって言っていいほど話題に出る。そのくらい、いい人だった。T氏からの情報によると、その後、曹さんは敦煌の旅行会社を辞めてしまったそうだ。家族の居る蘭州に戻ったのかな?その後の消息は不明とのこと。

フィレンツェ・ヴェネツィア編 へ TOP PAGE へ サイトマップ へ
シルクロード編 へ