4月28日 トルファン

トルファンウルムチの東183kmのところにあって、
世界有数の低地であるトルファン盆地の中にある。高温で乾燥していて『火州』と呼ばれている。この日は持ってきた半袖Tシャツに着替えて観光に出発。朝のうちは清々しかったのに、日が登るに連れて段々暑くなった。バスで高昌故城に向かう。車窓から火焔山が続いているのが見える。「凄い」の一言に尽きる。木も草さえも生えていない、不毛の山。赤い土。まさに燃えているかのようだ。夏場になると、この辺りでは、車のボンネットの上で卵焼きが出来るほどになるそうだ。想像しただけでも暑くなってくる

【高昌故城にて…】
かつての
城址遺跡高昌故城玄奘三蔵もその地に立ち寄り、説法をしたそうだ。入り口で数人のグループに分けられ、ロバ車に乗る。物凄い埃。細かい砂。ロバ車には屋根しか覆いがない。埃避けに私はインドで買って以来愛用しているストールを頭からスッポリ被る。サングラスも埃避けとして必要な場所だった。もっとも、眩しがりやの私はバスの中からサングラスをして外を見ていたのだが。こんな状況でも、現地では「無風に近い」状態だったとか。ロバ車にはお土産売りの売り子も後をくっついてきていた。子供たちの顔つきを見ると、端正な顔立ち。モンゴロイドの顔つきではない。

ロバ車乗り場 宮城跡に向かうロバ車
ロバ車乗り場 ロバ車で宮城跡に向かう

暫くロバ車に揺られて、宮城跡へ。この内部で、玄奘三蔵は説法をしたとか…。私もかつて玄奘三蔵が立ったかもしれないという場所に立ち、合掌してみた。それにしても、インドへの往路ではこの高昌故城は存在したのに、14年後復路ではこの都市はすでに滅ぼされてしまい、廃墟となっていた。それを見た玄奘三蔵の心境はどんなものだっただろうか?奈良の薬師寺の壁画で、確かこの高昌故城?に佇む玄奘三蔵の姿が描かれていたような記憶がある。もしかしたら違う都市をイメージして描いたかもしれないけれども、月明かりの中、かすかにシルエットで浮かび上がる玄奘三蔵と街並みは、まさにこの地そのものである。玄奘三蔵の姿は、そのまま故高田好胤前管長の姿とダブって仕方ない。多分、平山画伯もそのつもりだっただろうか。幼少のころから仏教に身を捧げ、薬師寺再建のために生きた人だったから。

宮城跡 高昌故城 合掌
高昌故城 高昌故城 三蔵法師と同じ場所で?

帰りのロバ車は曹さんと隣り合わせだった。彼は平山画伯にお目にかかって話をしたことがあるとのことだった。そこで、奈良薬師寺の壁画の話を彼にしてあげた。中国は以前よりも開放的になったとはいえ、まだまだ一般市民は海外旅行に行く許可が出ないそうだ。上海と北京市民であればそれは比較的自由だとのことだった。だから、シルクロードの終着地の奈良を彼が訪れることは夢のまた夢。それでも、彼は目を輝かせて話を聞いていた。私のストール姿は、アイクリさんと曹さんを始め、ツアーの人達に好評だった。まるで今のトルファンに多いイスラムの女性がそこにいるかのようだと…。

この後、アスターナ古墳群へ。高昌故城住民の墓地群で、多くのミイラが発見されている。墓室には壁画が描かれていたが、ここも撮影禁止。有名な壁画を見学後、バスに戻る。

【ベゼクリク千仏洞と火焔山と孫悟空】
バスにて、火焔山山中にあるベゼクリク千仏洞へ向かう。ここは石窟が残されている。中の石室は勿論撮影禁止。残念なことに、壁画はイスラム教徒に破壊され尽くされてしまっている。
もし…完全に残っていたら、さぞかし素晴らしいものだったろうと思う。いくつかのビューポイントで写真を写す。帰国後、平山画伯の絵画展に行き、同じ角度からの絵を見つけた。ということは私も画伯と同じ視点を持っていること?(自惚れ)晴れてはいるけれども、霞んでいる。砂埃のせい?霞んでいなければ、天山山脈が見えるそうだ。それにしても、信じられないくらい不毛の地。それでも、眼下を流れるムルトウク川沿いだけは緑がある。この遺跡の駐車場の一角に『西遊記』の像があった。芭蕉扇を担いだ孫悟空を先頭に、三蔵法師、猪八戒、沙悟浄と続く。この像を前にして、『西遊記』のその一節を思い出した。羅刹女からその扇を借受け、火焔山の火を消す孫悟空。彼は一時的に火を消すのではなく、人々のために49回続けて扇ぎ、火を完全に消してから扇を返したんだっけ。悟空が火を消してくれたのに、ここはどうしてこんなに暑いのだろう?(笑)

ベゼクリク千仏洞 左の写真奥からの眺め あれが火焔山ですな〜!
平山画伯と同じ視点? ベゼクリク千仏洞 仰ぎ見る孫悟空


昼食はホテルに戻ってからホテルにて取るとのことだった。戻る途中、
火焔山の撮影ポイントで、下車し写真撮影。赤い土。高い気温。今でもこんなに暑いのだから、夏場はどんなのだろうか?蜃気楼で空気が動き、まるで燃え上がっているように見えるのだろう。

赤い不毛の土地 火焔山
燃えるような赤い土 火焔山

昼食後、バザール見学へ。色々な干し葡萄、食材、衣類、雑貨、その土地のものに触れ、屋台を覗き込み、楽しかった。干し葡萄も色々と試食を勧められて味見。色も大きさもことなり、味もそれぞれ違う。日本のよりも遙かに大きい。色も、グリーンがかっているもの、黄金色のものなど様々だった。

バザールからホテルへ戻り、そこからはオプショナルツアーに出かける人、休む人などそれぞれに分かれる。暑さの苦手な私は、ホテルで休むことにした。シャワーを浴びて着替えて、Tシャツを洗い、乾す。明日もこのような天気では、Tシャツでなければ居られない。まさかこんなに暑いとは露にも思わなかったので、半袖シャツが足りないのだ。こちらで売っているシャツは生地が薄くて透けているのでよろしくないのだ。ホテルで、
火焔山など手書きで絵付けをしてくれてはいるが…。さっぱりした後、友人たちへ手紙を書き、ゆっくりと過ごした。オプショナルツアーに行った人から話を聞くと、一般家庭を訪問したり、蘇公塔を訪れたらしい。

【トルファンでの食事と舞踏ショー】
夕食はまたホテルで。ここでの食事は全てホテルに戻って取った。旅に出て3日目だけれども、お米は殆ど出てきてない。西安では麺類が出た。ここでは、
ナンのようなものや、蒸しパン(中華まんの皮の部分だけ)や、麺類が主食お肉もラム(羊)が多い。インド人の友人がいる私は普段からラム肉を食べ慣れているけれども、やっぱり料理によっては独特の臭みがダメで食べれなかったのもあったが、中華料理の良いところを取り入れているためか?おかずの品数が多くて、食べれないものがあっても全然困らないほどだった。
葡萄棚の下で夕食後、ホテルの敷地内にあるショー会場にてウィグル族の舞踏ショーが行われた。客席は葡萄棚の下。
日が暮れて暗くなるに連れて、段々過ごしやすくなる。Tシャツを乾かしている私は、キャミソールとストールを上手く組み合わせて着ていた。それでも、ちょうどいいくらいの温度だった。ショーの最後の方になると、舞台の上に誘われて踊り出す人も…中には自分のダンナさんを見て「あんなのうちのダンナじゃないみたいだわ〜!ああいう一面があるなんて知らなかった」な〜んて話している奥様も(笑)

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